Sunday, June 06, 2010

Mr Churei's report on the Akatora Kanreki Party


赤沢通信(65)号外 「赤寅会」抒情 *  安芸潮 赤沢村の属する行政区域は八幡野ですが、国道135号線に沿ってささやかな店舗群が並び、伊東市から来ると左手に相模湾、右手に大室山が控えています。海側の一帯には温暖な気候に恵まれた別荘地のほか役所の出先機関や郵便局・学校・消防署などが点在し、山の手側は夏の暑さを凌ぐに適したいくつかの別荘地が散在しています。ただひとつのパチンコ遊戯館以外どこにも華やかな歓楽施設はありません。ところが、時にといっても何年に一度という程度の頻度ですが、素晴らしく華やかなダンス・シヨウやジャズのライブが開かれる機会があるのです。地域の名だたる美女や美男は言うに及ばず、関東一円は当然として国籍もアメリカや中近東というのはちょっと定かではないのですが、数十名の名士たちが集まってきます。眉唾物と思われるかもしれませんが、これは夢幻の世界のことではなく、現実の話なのです。さて、今回の会の名は「赤寅会」、場所は建物の二階全部を借り切った「そば処えびな」に招集がかかりました。名誉ある招待を受けたのは私ども夫妻を含めて、極めて限られた人たちです。時は平成二十二年五月二十九日土曜日の夜。この会を企画し、主宰したのはポール・ホフならびにオーエンズ貴美子。(以下もすべて敬称略)片や体重百二十キロ、背丈二メートル弱の巨人、片や日本人離れした背丈の色白の才女、ともに東伊豆周辺でその存在を知らぬ人はいないぐらいの有名人です。ポールは祖先を辿ればノルウェイから南下したNorman ConquestのVikingの血を引いていますが、憎いことにこれがなかなかの美男子。マイクもほら貝もなしに朗々たる日本語と英語を駆使しててきぱきと会を進行させます。フラダンスを皮切りに賑やかに始まったパーテイはたちまちフラメンコダンサーたちの情熱的な踊りとステップで会場を熱気の渦に巻き込みました。貴美子は踊りとカンテ(歌い手)の一部を受け持って赤寅の女王の貫禄を示したのはさすがです。(因みに赤寅とは赤いちゃんちゃんこを着せられた還暦祝いのメンバーを指しています)延々五時間を越えて八幡野の夜を煌煌と輝かせたパーテイの圧巻はなんといってもまずフラメンコ、中でもカンテのゆきじ、こと杉村有紀代。その声量・苦悩に満ちた表情としぐさは流浪の民ジプシーの血を受け継いだ魔性の雰囲気があります。床を踏み鳴らして舞う名だたるダンサー数名の見事なリズムにはただうっとり。会場はアルコールの香気の中で一気に盛り上がりました。続いて一服の休憩の後にベース、ドラムとサックスのリードでジャズのライブです。即刻そのテンポを頂点に引きあげたのはピアノの吉岡秀晃、宮崎生まれで岐阜・関東をはじめとする全国ライブで一躍ジャズ界にのし上げてきた経歴を知らずとも、たちまち聴衆は魂を奪われて陶然・陶酔そして小刻みにリズムを踏み始めます。何よりも吉岡秀晃自身の微笑のあふれる躍動的な表情がいい。ダンステンポに変わると、ポールがこらえきれずに中央の舞台に駆け上がって腰をくねらせ奇声を上げると会場はもう手が付けられません。建物を揺るがして老若男女が踊り狂う有様です。若いころ多少はジャズに熱中したといっても今即座に思い出せるのはサッチモやプラッターズくらいのもの、そんなど素人でしかないのに、私は演奏が一段落した合間を見計らって初対面の吉岡秀晃に会って握手を求めたのです。「いや素晴らしい演奏!あなたの表情は特に魅力的ですな。ところで余計なお世話ですが、あなたは女性ファンとトラブルを起こす卦が出ていますよ。ご用心!」咄嗟のひと言に相手は虚を突かれたか一瞬真顔になりました。彼の親友の平崎建築士に話すと「満更当たらずとも遠からず。彼は驚いたでしょう」とにやりと笑ったものです。(平成二十二年六月)

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